
TOKYO FRONTLINE 2025
グランプリ
関優希
『My uncle’s drawings (fiction)』
産まれてからずっと、父の弟である叔父と同じ家で暮らしている。叔父は家の中にメモ書きを沢山貼る。自分のためではなく、他人のために。「同じことを何度も言いたくないから」と、叔父は言っていた。音にならないから、絵みたいな文字だった。メモに囲まれて暮らしていると、何が本当に重要なのか分からなくなる。情報が氾濫して、むしろ何も気にしなくていいと思えた。文字が純粋な線として視界に入ってくる。
私はそれを複写する。叔父の引いた線が美しいと思ったから、誰かに見せたかった。画家が画集を出版するためだけに、素描を複写するように。撮影すると、不思議と線が意味のある言葉のように見えた。
その時初めて、写真は全て現実の複写なんだと思った。

準グランプリ・名和晃平個人賞
張玉テイ(PIDAN)
『あそこで死んだのは私たちではありません、愛の塊だ』
私は未だに、写真に収めるべき被写体を見つけられずにいる。けれども、写真は狂ったように増え続ける。私たちはいつか、この世界で死を迎える。そして、私たち一人ひとりの存在が消え去るとき、その写真に宿る記憶もまた、少しずつ消えていき、やがてこの世界から跡形もなくなる。
私は信じている。あそこで死んだのは私たちではない。死ぬのは、愛に関わるもの、愛そのものなのだ。
カメラは常に世界を切り取ると同時に、それを排除し、取捨選択を繰り返している。見る者は、切り取られた部分に集中し、排除された部分を暗黙のうちに忘れていく。本作における断片的な写真は、私がSNSや学内で集めた不要な写真やミスプリントなどを、さまざまな人々から譲り受けたものである。それらはかつて、誰かの記憶の一部であり、意味を持っていたはずだ。しかし、何らかの理由で不要とされ、捨てられる運命にあった。私は、それらを裁断する。すると、そこにあったはずの被写体は曖昧になり、断片となり、あるいは姿を消し、代わりに、その周縁にあったものが浮かび上がる。
どうか、その塊をそっと手に取ってほしい。自由に置き換え、並べ替えてほしい。
今、あなたの掌にあるその魂は、時間を超え、誰かとつながる愛なのだから。
Instagram: @pidan_egg13
HP: pidan.cargo.site

多和田有希個人賞・港千尋個人賞
山本華
『Stakeout』
新年会で再会した中学の友達から、探偵を使ったことはあるかと聞かれた。詳しく聞くと、「20年以上会っていない家族を探したい」という話だったので、家族探しを手伝った。
この作品は、その機会に私たちが手探りで行った張り込み調査の体験から着想を経ている。今まで来たことのない町の片隅に駐車し車の中から張り込み対象を眺め続けていると、私はある種の負い目からか、自分も何かに眺められているような気がして、うまく集中できなくなってくる。しかしおもしろいのは、その気配の方を振り向いたりその方向に向かって進んでいくと、先にはたしかに存在感を醸し出ているオブジェクトがあったりすることだ。
友達の家族が見つかったあとも私には張り込みの感覚が妙に体に残っていたため、その状況を仮に被写体を探す条件として解釈してみることにした。そうして、かつて自分が車の中から張り込みをしていたことから車の窓を撮影しつつ、その場で私が視線を感じる対象や方向に対しても撮影を試みることになった。
Instagram: @hanayamamoto_
HP: hanayamamoto.com

川島崇志個人賞
小林ななせ
『BLOATED MONSTRUM』
私は元々友人など主に身内を撮っていた。自分のイメージを膨らまし、それを被写体に当て込んでいた。ある制作で、被写体の「未知なる内的自己」の視覚化を目論んでいた。表層的なペルソナを超越し、被写体自身も認識していない無意識下のアイデンティティを捉えることを狙いとした。
そうすると現実のその人物とは異なる姿で映された。まるで怪物(monster)のように。
意図的にそうはしたが、そのイメージはどこから来るのかと考えた。そこで3つの段階を踏んでイメージの解析を図ろうとした。
1. プロジェクターを用いて被写体本人に複写し、空想の被写体と現実の被写体を同居させて撮影。
2. 撮影した写真や整理したコンセプトをAIに共有する。共有する写真は、被写体と過ごした時に一人で撮った風景写真やマテリアル素材のような写真など含まれている。そこから連想するものやことを抽出し、テーマ付けしてグループに分け、新たにイメージを生成する。
3. (1)と(2)、そして制作当初撮影した写真らをプリントし繋ぎ合わせて壁に貼り、被写体と共に撮影。
すると拡張していく複数の写真はまた新たな怪物のメタファーとなって現れた。
なお「monster」の語源は、「monstrum(モンストゥルム)」というラテン語から来ている。ラテン語でも「正体は分からないけれども、存在を感じることができる出来事やもの」という意味で「驚異的な出来事、不可思議なもの、驚くべきことの前兆、怪物」などと訳すことができる。
また「monstrum」の語源は、「monere(モネーレ)」という動詞を語源としており、「思い出させる、気づかせる、忠告する」という意味の言葉でもある。
これらはそんな内側から滲み出て生まれた怪物のようなイメージから、人との距離や関係の定義を「思い出させる、気づかせる、忠告する」ものを手繰り寄せる行為であり、複写、AI、コラージュなどの技法をミックスして模索したこの行為自身が作品である。
Instagram: @n_n_s__k

後藤繁雄個人賞
多喜希
『境界、理念と核』
写真は暴力だということを表現する
SCOBYを使って写真から出てこれないように
作者がしている
それが撮影で、
殺している、
カメラを使って殺す
写真は希望
過去、現在、未来がない
時間軸がない
死体である
カメラを使って殺す
出てこないで
ずっとそのままでいて
Instagram: @_00173

小山泰介個人賞
田中茜乃介
『片隅』
部屋の片隅の写真を、その角で折った。
折られた写真は自立し、再びそこに片隅が生まれた。
テーブルの上の片隅を見ている私は片隅の外にいた。
自分が見ている世界と他者が見ている世界の差異と重なりを主なテーマとして制作している。
この作品は、ガストン・バシュラールの著作、「空間の詩学」の"片隅"の章に触発され制作した。
片隅を内密な場所と、外の世界の間に存在し自分自身を認識する場所と捉え、部屋の角の写真のシリーズとして展開した。
部屋の角の写真を折り、立体化したものを再撮影した。
Instagram: @sennosuketanaka

佐々木敦個人賞
ソウメイリ
『I am a Free Bird』
母が病に倒れて以降、認知機能が低下し、言葉や日常の理解が難しくなった。私は、かつて母が私にそうしてくれたように、今度は私が母に文字や言葉を教えるようになった。その変化をきっかけに、私は家族の生活を記録するように写真を撮り始めた。
信仰を持たなかった両親は毎日のように祈るようになり、書斎は神仏を祀る空間に変わっていった。
そして同じ時期、祖母が亡くなり、私たちはそれぞれのかたちで、その死を受け入れようとしていた。
仏教には「アニチャ(無常)」という言葉がある。すべてのものは移り変わり、同じ状態にとどまることはない。言葉、記憶、信仰、家族との関係、そして生や死でさえも、少しずつ、静かに変化していく。
その変化のなかで私は、身近な人々を通して、「無常」というものと向き合うようになった。
Instagram: @zengmingli_

千葉雅也個人賞
奥出理人
『誰か自身』
矛盾を孕んだまま完結することを望んでいる。
それは感情や感覚といった個人的なものから判断されることもあれば、視覚的なバランスや配置の論理といった外側の観点から決定されることもある。
明確な意味を与えることではなく、意味が定まりきらない<曖昧な気配>に対して あえて明確に視線を向ける。
その時初めて、なもなき実存に気づくことができるのではないだろうか。
Instagram: @fake_blue06
























